学び屋塾長
たいていのことは自分で難しくしているだけ
ご訪問頂きまして
誠にありがとうございます。
子どもたちが
勉強「しないため」の
言い訳として
よく使うのが
「どうせできない」
「どうせ無理」
「難しいから無理」
など
そもそも
無理である
という前提をつける
ということ。
はたして
公教育において
やってできない
ということが
求められるでしょうか?
当然
答えはNO。
やりたくない
やらない
ための言い訳。
そもそも
やってもいないのに
出来ない
って
なんでわかるの?
やりたくないなら
やらなければいい。
責任は自分で取ってね。
まあね…
今の日本は
自分の名前さえ書けば
高校はもちろん
大学も
入学・卒業できますから。
まあ
お金払うのは親だし。
話それた。
脳っていうものは
心によって
その機能を
支配されることが
分かっています。
1+1でも
難しい
と思えば
出来なくなる。
当然
難問の解法を
何度やっても
難しい
と思っていれば
いつまでも
できるようには
ならない。
逆に
難問と言われるものでも
できるようになる
絶対に理解する
と思って
何度も取り組めば
理解できる。
難しくしているのは
自分自身の
心
と
思い込み。
実は
教育において
最も
重要なことは
自分自身を修める
という
心の修練
なのです。
明治より前の
教育というものは
ここから
始まっていたし、
昨今の教育は
この点が
ほぼない。
やる気
ではなく
出来るようになろう
という
強い意志。
スポーツであれ
文化活動であれ
勉強であれ
心の修練を
優先すべきと
思います。
最後までお読み頂き
誠にありがとうございます。