学び屋塾長
信じることの意味
ご訪問頂きまして
誠にありがとうございます。
昨日は
久しぶりのお休みで
久しぶりの
「あ、死んじゃうかも」
という感覚がやってきて
できるだけ
眠るようにしていました。
五十肩も
治まりつつあります(笑)。
本日は
お世話になっている
お寺様へ
合格祈願の御祈祷に
行って参りました。
私は無宗教ですが、
仏教であれ、
キリスト教であれ、
八百万の神々であれ、
「教え」の中には
有難いものがある
という事実を
有難く受け入れております。
信仰心
というものは
よくわからないのですが
信じる
ということは
大切なことなのかと。
その対象が
特定の神なのか
何かの経験・記憶なのか
はたまた
自分自身なのか
それは
人それぞれ
だと思います。
将棋の
加藤一二三さんは
40代になり
勝てなくなった時、
自分に足りないものは
何なのかを、
冷静に分析したそうです。
そこで
気付いたのが
信じる心
だと。
それから
キリスト教の
信者になったそうです。
なぜ
キリスト教になったのかは
存じませんが。
信じる心が
何かしらの
力
を持っている
ということは
なんとなく
理解できます。
それは
何かしらの
信仰の対象を
思い描いている
念じている
祈っている
時には
その1点に
集中している
から。
1点に集中する
というのは
無になる
の一歩手前。
この状態は
とても
脳と精神に
良い状況です。
一心不乱
という言葉のとおり
実に
あるべき状態
といいますか
いわゆる
ゾーン
に入っている状況に
近いと思いますし、
人によっては
まさしく
ゾーンに入っている
ということに。
受験生だけではなく
生活していく上で
こういう精神状態を
いかに
創り出せるか。
信じるということは
宗教ということを
考えずとも
実は
とても良いこと
だと思います。
皆さんも
一心不乱に
何かを
信じてみては
どうでしょうか?
お薦めは
Yes , I can !
私はできる!
です。
最後までお読み頂きまして
誠にありがとうございます。