学び屋塾長
平成最後の日
ご訪問頂きまして
誠にありがとうございます。
寒いです。
こういう節目の時って
ただの雨も
何かしらの意味を
考えてしまうものです。
今上天皇、
明日からは上皇は
意外と知られていませんが、
死に接する機会が
多かった方です。
子どもの頃は
集団疎開を経験されています。
皇太子の時、
沖縄を訪問された際、
火炎瓶を投げつけられ、
危うく直撃炎上
というところでした。
他にもありますが、
最近は特集も多いので
色々確認できるかと。
陛下は、
即位の頃こそ、
年寄りたちに
威厳がないだの
品位がないだの
と揶揄されていました。
今は、
うちの生徒たちでも
ステキなご夫婦
とか
かわいいお年寄り
とか
まあ、失礼なのですが(笑)
確かに
子どもたちから見れば
そういう
ステキな素晴らしい姿
なのでしょう。
そういう子どもたちからも
親しまれるような
天皇・皇后の姿は
もしかすると
陛下・皇后陛下ともに
望まれた姿なのでは
と、勝手に想像してしまいます。
陛下は
禁忌を破り続けて
象徴天皇とは
国民に寄り添う天皇とは
を、追い求められたように
思います。
ご成婚しかり、
皇后さまの母乳での子育てしかり。
沖縄や戦地の
慰霊訪問しかり。
右派や
宮内庁が嫌うことを
やり続けて
国民から敬愛される
象徴天皇というものを
追い求められたような
気がします。
中でも
衝撃だったのは、
それこそ
昭和ではありえない
陛下が跪いて(ひざまずいて)
被災者と同じ目の高さで
お話される姿
です。
皇太子時代に、
おそらくは
美智子妃殿下が
しゃがみこんで
被災者(確か三原山噴火だったような)の
話を聞くということを
さりげなくされて、
続けざまに
皇太子殿下(今上天皇)も
なさったのが
初めだと思います。
退位にあたり、
涙をこらえ、
国民にお言葉を述べ、
美智子皇后に
感謝の意を伝えた
あのシーンは
何とも言えない
尊さと優しさを
感じたものです。
私なんぞは
想像もつかないほどの
葛藤や苦しみが
あったと思います。
どうか
ごゆっくり
余生をお過ごしください。
いつまでも
皇后さまと
ステキなお姿で。
ありがとうございました。
最後までお読み頂きまして
誠にありがとうございます。