学び屋塾長
昭和の日
ご訪問頂きまして
誠にありがとうございます。
いい天気です。
さて、
今日は「昭和の日」。
明日は「平成最後の日」。
明後日は「令和最初の日」。
ということで、
日本の天皇について
少々、お話を。
嫌いな人は
読まないで下さい。
私は
日本の文化を守る
という点から
天皇制は維持すべきだ
という立場です。
政治的は
どうでもいい。
さて、本題へ。
不敬な表現がありましたら、
平にご容赦下さい。
昭和の日なので
昭和天皇について。
まさしく
激動の時代、
波乱の人生
というお方です。
国家元首であり
現人神(あらひとがみ)で
あったわけですが、
敗戦後、
人として
象徴として
その位置づけが
大きく変化しました。
では、
何か変わったのか
というと
そうでもなさそうです。
昭和天皇が
マッカーサー元帥のもとへ
ご訪問された際の
エピソード。
昭和天皇は
マッカーサー元帥に
お願いします。
「私のことは
どうなってもいい。
国民を助けて欲しい。」
と。
マッカーサー元帥は
手記に驚きと感動とともに
この出来事を
記しています。
普通なら、
敗戦国の国家元首は
自分の命乞いを
してくるのに、
自分のことは顧みず
国民のことを
第一に考えている
そんな国家元首に
あったことがなかったから
このことが
衝撃的だったのです。
そして、
昭和天皇も
マッカーサー元帥と
約束をし、
この会談は
秘密とされていましたし、
昭和天皇自ら
語ることはありませんでした。
また、
敗戦後、
御所の破損がひどくとも
修理はさせませんでした。
国民の生活が
向上してくるまでは
と。
結局、
終戦後、20年以上たってから
ようやく
修理の許可が
出たようです。
この
国民を思い
質素に暮らす姿勢は
仁徳天皇の行いに
似ています。
(仁徳天皇は
国が豊かになるまで
数年間、税を免除し、
御所も雨漏りしたまま
だったそうです)
昭和天皇の
お人柄を表す
エピソードを
もう一つ。
ある夏、
御所の庭の雑草が
随分、伸びていた時、
お付きの方が
「雑草が随分、伸びましたね。
刈りましょうか。」
と申し上げたところ、
「雑草という名の草はない。」
と仰り、
そのままにしていたそうです。
植物学者でもあられた
昭和天皇らしいエピソードです。
明日は
平成最後の日です。
もちろん、
今上天皇のエピソードを。
最後までお読み頂きまして
誠にありがとうございます。